鹿島鉄道 3 心像風景
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RICOHの第5回Caplio & GR DIGITAL フォトコンテストが2/16に締め切られました。今回のテーマは「瞬間」。出しそびれたんです。あ~あ。
今年は暖冬で関東では初雪を待たずに春一番が吹きました。↑は去年の1月に撮ったもの。宙に浮いてる瞬間。2chのGX系スレで「GXで走る犬を撮れるか」って書き込みがあったので、撮れるよと出したものです。
RICOHのデジカメはスナップモードでピントを2.5mに固定できます。広角と相まって2m位先から全体にピントが合う、パンフォーカスになるからAFの合焦時間が0でシャッター一気押しが可能。
↑欽ちゃん走りの瞬間もGXスレに上げちゃったから、フォトコンには応募できないし、↓はRICOHじゃないし~。GR-Dで撮ろうとしてるうちにタイムアウト。
テニスボールが宙で止まってる瞬間。こりゃまぐれです!
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鹿島鉄道は非電化単線。電車ではなくディーゼルカーが走っているので、架線がなくすっきりしていて、田舎の風景に似合っている。幼い頃自宅近くを通っていたローカル線と重なり、懐かしさがこみ上げてきます。
鹿島鉄道の主力は平成1~4年に増備されたKR-500だが、旧型も走っており、特にキハ601はなんと昭和11年製! 国鉄のキハ42000として製造され、昭和40年鹿島鉄道に譲受された後、前面の改造でオリジナルの優美な半円形から、ありふれた切妻形になってしまったが側面は製造当初の窓配置を残しています。 GX トリミングで拡大
ゼロ戦の初飛行が昭和14年、その前から走り続けている車両が、現在百里基地に離着陸するF-15戦闘機の下を細々と現役で最後の運用についています。上の写真で左上の米粒みたいなのがF-15。
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昨日は春一番が吹いた。急に発達した低気圧に伴うものでした。爆弾低気圧、急に発達する低気圧を指すが、最近よく聞きますね。昨日もビニールハウスや工場の屋根瓦が飛んだり、風力発電の羽に落雷し燃えたり。まるで台風みたい、2月とは思えないような異常気象です。風速20mって時速72kmなんですよね!
湖面に波が立ち、さらに強い風のため細かい波が大きな波の表面を覆っていました。快晴の太陽が照らす湖面は、砕いたガラスを散りばめたようにざらついていた。反射でキラキラする場所を撮ったら、カラーなのにモノクロの世界が写っていました。
ようやくブログのタイトルに写真を入れました。しばらくはこれで行こう。
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先月仕事仲間との新年会の2次会の時、写真好きな4人で「写真部をつくろー!」とオネーサンたちをそっちのけで盛り上がりました。そして第1回目のテーマがNちゃんの提案で「朝日」。
Nちゃんは最近父上から初代KissDを譲り受けてはまりだしたらしい。Kちゃんは私と同じくKissDNながらレンズ沼にはまったようで、EF70-200/F2.8IS!を衝動買いし、つい最近EF35/F1.4L!を予約したとか。私も数日前にEF50/F1.4を衝動買いしたが、近所のHARD-OFFで26,250円だった。それを含めて6本あるがほとんど中古なので、合計金額は70-200/F2.8IS 1本分か・・・。
そして一番若いT君は大学時代、写真部に在籍。フィルムの一眼を使ってるがデジタルはコンパクトタイプをもうしばらく使うとのこと。メーリングリストで締切りまでに続々とアップされてきます。期限以内なら差し替えもありで最終的に私が選んだのがこれ↓。オーソドックスでやや面白みにかけるなぁ。みんないい写真をアップしてくるので、一人で撮ってるより刺激があって、おやじ写真部面白い。
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だいぶ更新をサボってしまいました。実は最近メインのパソコンの調子が悪く、突然の再起動が続き、どうも20GのHDDが満タン近くなったのが原因のようでした。そこで外付けHDDを増設して、撮りためた写真を移して何とか安定化してきたようです。たくさんの写真を探すのも困難になり、Googleから無料のPicasa2を導入しました。それについてはもうちょっと使ってから記事にしたいと思いますが、いい感じです。そんなこんなでおそくなりましたが、今日の本題に入りましょう。ここ1年はまってる被写体で、何回かのシリーズになりそうです。
鹿島鉄道、茨城県の常磐線石岡駅から鉾田まで27.2kmを結ぶローカル線。大正13年6月に石岡-常陸小川間が開通し、順次路線を延ばし昭和4年に鉾田まで完成しました。当初の社名は鹿島参宮鉄道といい、途中、霞ヶ浦湖岸の浜駅より船で鹿島神宮まで行けるように連絡船も運航していたが、わずか数年で連絡船は廃止。
合併を繰り返し、常総線、龍ヶ崎線、筑波線を含む関東鉄道の鉾田線となったが、収益の悪い筑波線と同時に昭和54年鹿島鉄道として独立。筑波線(筑波鉄道)は昭和62年に廃止。鹿島鉄道は昭和42年から始まった、自衛隊百里基地へのジェット燃料輸送でなんとかなっていたが、榎本駅から基地までのパイプラインの老朽化により、2001年燃料をトラック輸送へ転換することで貨物収入が途絶え収益が悪化。
その後親会社の関東鉄道、県、沿線自治体などから支援を受けていたが利用者は減少し続け、つくばエクスプレス開業により、関東鉄道のドル箱だった東京-つくば高速バスの業績悪化により支援打ち切りが決まり、今年3月31日で83年に及ぶ歴史に幕が閉じようとしています。
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